昭和40年02月27日 夜の御理解
いつまでたっても、このことだけは忘れられないと云うような事がございます。特別に嬉しかったこと、特別に苦しかったこと、いやな思いをしたこと、もうとにかく、いつまでたっても生き生きとして自分の心の中に残っておることがお互いございます。良いことにつけ、悪しきことにつけ、そうですね。私共が、日々こうして御教えを頂かせてもろうて、今日もある方がそう言われたんですけれども。
帰ってから子供達が待っておるから今朝の御理解はどんな御理解だったかと言われても、漠然としてお話が残っていないことが、いくら聞きよるようにあっても、やっぱりこの自分は眠っておらんと思うておっても、やっぱり眠っておるような場合がありますからね。その時、確かに耳から入ってきよるようであっても、何が何やら分からないと云ったようなことがあります。ね、
けれども、やはり真剣に頂いておりますと、全部が全部お話することが出来なくても、ここはと自分で思うたようなところだけは頂けるものです。真剣に頂いておれば。まあ、何年、何十年の昔のことが生き生きと心の中によみがえって来るとか、忘れられないとか、烙印を押されたようにこれだけは鮮明に心に残っておると云ったようなことだけではなくもです、せめて教えの中の一言なりともがです。
心の中につい生々と心の中に、焼き付けられる様なおかげを頂いて、それが今日一日を支えてくれると、言う様なおかげを頂かなければ、御理解を頂く私は本当の値打ちはないとこう思う。今日末永さんが見えられました。午後でした三時頃だったでしょうか、丁度壱岐の方が報徳祭で帰っておられました。梶原先生からの椛目にと云うて、そのお土産をことずかっておられました。それを持って今日は見えられたわけなんです。
そして丁度、大祭に野口さんところのくみこさん、壱岐に縁についておりますのが、親子連れでです、大祭にお蔭を頂いておって、まあ色々とおかげを頂いておること、椛目におことずけをすること、又は久留米の野口にも伝えてほしいと言うことやらをことずかって来ておりました。で、いろいろ野口さんに対することずけをことずかって来ておりましたが、今朝から、野口さん、まだ参って見えんから、もうちゃんと見えますよと云う口のうち見えたんです。
何か知らんけれども、一つの思いと云うようなものがつながっておると云うようなものを感じさせられますですね。椛目の場合は、いつもそれを実に鮮やかにと云うか、鮮明にそう云うようなものが椛目の場合、神様の働きを頂いておる印と云ったようなものを、皆さん、感じられるだろうと思うですね。そのことだけでも、だからおかげを頂く。野口さん見えてからでした。
たまたま、あの冨永さんのことに話がおよんでおりましたが、明日冨永さんこちらに見えるらしいですが、初めて冨永が椛目に御縁を頂いた時、冨永先生のことについて頂いた御教えが、この方は立派な方なんだけれども、一本くぎがゆるんだような感じだと。だから、全体が緩んでいると言う様な感じですから、本当にここのところ一本しゃんと、こう打ち直したら、全体が立派になられる方ですね、と云う御理解だったらしいですね。それを、帰って先生に言われたんです。
その時には、さほどにも感じられなかったらしいのですけれども、三年たち五年たちするに従って、それがもう鮮やかに富永?先生が言われた事が残って、はあこう云う時がゆるんでおるのではなかろうかと云うて、いつも自分の心の支えになっておると云うことを、冨永先生が話されたと云う事こと、今日話しておりましたですね。所謂、おそらく一生涯、それが冨永先生の云うならば、生き方の上にです。
一つの支えになるだろうと、こう思うですけれどもね。お互い一生過ごさして頂きますと、様々なこれだけは忘れられない、これだけは本当に良し悪しにつけてからそう云うものがあるんですけれども、どう云う悪い思い出でもありましてでもですね。それが信心さして頂きますと悪い思い出でありながら、それが非常に私を支えておってくれることがある。そう云うふうにこの生かしていくと云う言が、私は信心だと思うです。
頭を打ちふってみて、はあこんなもう悪夢な様な事あんなこと、それがいくら頭を打ちふって見ても忘れられないと言う様なと云う事柄はです、私はいよいよ深くそのことをです、悪い事にせずに、それをいろいろに思うてみて、心の中から離れんのですから。それが悪いことだけで残っておったんでは、云うなら烙印を押されたようなことになりますから、それがまあ一生支えるとまではいかんでもです。
そのことがおかげの元にして行く様なおかげを頂くことが、私信心だとこう思うです。どうでしょうか、皆さんにもこれだけはもう忘れられないと、それは他のことじゃありません。信心の、一つの神様のお言葉とか、教えと云ったようなものが、私の信心全体を貫いていると云ったようなものがあるだろうか、又、一日一日の上にも、今朝の御理解は、これだけは誰にでも帰ってよう話が出来ると。
今晩の例えば御理解がです、いかにも漠然としておるようにあったけれども、段々、鮮やかに心の中に描かれて、そして、それが明日までも残って、それが一日の生き方の支えになると云うようなおかげを頂かなければならない。真にと、こう云う。真に有難いと例えば云うようなことでもです、その真にと云うのが、云わば、私、忘れられないと云うようなことが、真にと云うのじゃなかろうかと、私、思うですね。
おかげ頂きました。